(とりい のぶへい、1883年1月4日生まれ)、静岡県袋井市出身。
日本統治時代の台湾の最南端に位置する屏東県に独創的な地下ダムを作った日本人技師。
画期的な灌漑設備(風景や生態系を壊さず環境に配慮した工法)で、
現在も地域住民に恩恵を与えている事などから、台湾の専門家たちも注目している。
また、 屏東県の中学校では、副教材中でも取り上げられ、
今でも屏東の人々から慕われ尊敬されている、八田與一の先輩に当たる日本人技師。
鳥居氏の経歴等は『昭和人名辞典』第1 巻東京篇
に掲載されていて、父は静岡県人とあります。鳥
居氏は大正3 年に台湾製糖株式会社に入社します。
『台湾製糖株式会社史』には取締役になってからの
経歴と顔写真が掲載されています。当館の所蔵で
はありませんが、関連資料として、鳥居氏の台湾
製糖株式会社時代の「伏流水利用に依る荒蕪地開拓:
臺灣製糖株式會社萬隆農場創設並に其經過」鳥居
信平著が昭和11 年に日本農学会の農学賞を受賞し
ているほか、「南方農業管見: 計畫農業と水利問題」
鳥居信平[ 述] の論文があります。また、神戸大学
附属図書館のHPの「デジタル・アーカイブ・新
聞雑誌文庫」で当時の鳥居氏の記事を見ることが
できます。 ( 村松隆代)
丸メガネ研究会の乙部様より「丸メガネをお掛けになっている鳥居信平氏は
袋井市のご出身ですが、ご存知ですか?」と聞かれましたが、
まったくわかりませんでした。丸メガネ研究会のHPとインターネットでの検索で
少しは確認できました。(実際、資料はあまりなさそうです。)
袋井市に住んでいるので是非、皆さんに知っていただきたいと思い
微力ですが、情報を発信していきたいと思います。